「サッカー人生」という名のプレゼント(4)
おはようございます! 月村です!
私がサッカーを始めるようになった経緯、第4弾です!
小学校の仲間4人と誓いを立てた、その後日談です😃
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中学でもサッカーを続ける誓いを立てた私。
親が家を購入して、小学校を卒業すると同時に、
遠くに引っ越すことになりました。
入学した中学校には、当然のことながら
知り合いは一人もいませんでした。
誓いを立てた仲間3人の顔もありません。
誓いを守らなくても、文句を言われることはありません。
それでも、私は、
迷わずサッカー部に入りました。
誓いを立てたからという義務感もなく、
自ら選んで、入部したのです。
うーん、なぜだろう。今でも謎です。
やっぱり、聖霊が降っていたのでしょう!
私が入った中学校は、地区の強豪でした。
でも、その年の新1年生は3人だけ。
国体に出たことのある指導者は、
私が入部して直ぐに他の学校に移ってしまい、
サッカー経験のない美術の先生が顧問になり
地区でも勝てない弱いチームになりました。
0対15という自分史上最悪の惨敗も中学時代。
それでも腐ることなく、3年間、やり抜きました。
辞めるなんて、発想もありませんでした。
これは、間違いなく聖霊が降っていましたね!
高校に入学し、迷わずサッカー部に入りました。
神奈川県ではそこそこ名の知れた顧問に恵まれ、
初めてまともに、ちゃんとサッカーを教えてもらいました。
最終成績は県ベスト16。勝つ喜びも味わうことができました。
川崎市の選抜チームにも誘われました。
でも、なぜか断りました。
そこまで好きではなかった、ということでしょうか。
自分で自分が、よくわかりません(笑)
大学に入学し、迷わず体育会サッカー部に入りました。
サークルもあったのに・・・さすがに自分でもビックリでした。
顧問もコーチもいない、学生主体の練習は週3回。
関東サッカー連盟の下の、東京都大学サッカー連盟の
最下位リーグに所属する最弱チームでした。
天皇杯の予選トーナメントで慶応大学と試合して、
後にU-23日本代表監督として北京オリンピックで指揮を執る
反町康治選手と同じピッチで戦ったこともありました。
結果は0対8の完敗でしたけど(笑)
反町選手のことは後で知ったんですけど(爆)
有名人と戦った自慢ネタもまた、神様のプレゼントかな。
4年間+アルファ、卒業するまでサッカー部でやり続け、
2回昇格を果たしました。
2回降格しましたけど(笑)
勝っても負けても、楽しかったです。
あの、小さな誓いから、
まさか、大学卒業までバリバリやるなんて、
思いもよりませんでした。
後悔もしませんでしたし、
一度も、やめたくなることはありませんでした。
間違いなく、この誓いは、
神様からの、プレゼントでした!
つづく