かけがえのない、一家団らんの時
おはようございます!月村です。
新型コロナによる巣ごもり期間は、
ある意味、私にとって、とても重要な時間を提供してくれました。
3月に末っ子が小学校を卒業するので、
家族バラバラ生活に拍車がかかると思っていました。
小学校までは、家族とのつながりが強いですが、
中学校からは、友達とのつながりや部活という結びつきが強くなり、
家庭は、どちらかというとサブのポジションになります。
子供たちと向き合う余裕なく突っ走るように生きて来た私にとって、
気付いたらみんな巣立っていた、みたいな感じです。
頼もしくもあり、肩の荷が下りた感もあり、うれしくもあり、ですが、
でも、やはりどこかで、忘れ物をしてきた感が根強かったのです。
父親として、何か、すべきことを置き去りにして来た、みたいな。
ところが、この巣ごもり期間。
家族で団らんの時を過ごす機会が戻ってきたのです。
家族全員での食事なんか、ほとんどなくなっていたのに、
当たり前のようにみんなが揃っている。
ものすごく幸せを感じています。
家族って、いいなあと、しみじみ喜びを噛みしめています。
天が、最後の子離れの機会を下さったような気がしています。
私は18歳の時に、一人暮らしを始めました。
自宅から通える大学だったのに、親の脛を齧りながら。
どこかで、家族と向き合うことに息苦しさを感じていたのでしょう。
逃げるように飛び出して、
そしてそのまま就職、結婚、今に至ります。
振り返ってみたら、うまく親離れできなかったかなと思います。
親にとっても、子離れの機会を、奪われてしまった形になりました。
さよなら一つ言わずに、共に生きていくことを放棄してしまった。
今更ながら、親不孝者だったなあと反省したりしています。
でも、その時は、それがギリギリの選択だったし、
それっきりになるなんて、
思っていなかったんですよね。
いつかは、きちんとけじめをつける日が来るものだと思っていたのです。
そんな機会は、いくらでもあると・・・
人間は、ほんのわずか将来のことさえ、知りません。
節目がこれからあるよ、と、教えてもらえるわけでもない。
いつ、突然、その日が来るか分からない。
そして、来てしまったら、もう逃れることはできないのです。
父母とも望外に長寿の祝福を受けていますが、
新型コロナはお年寄りには危険な病気なので、
罹ってしまったら、会うことも叶わなくなってしまう。
だから、今、この時が大切なのだと、
切実に思うようになりました。
会って交わす一言、一言。
一期一会を大切にしたいです。
後で振り返った時、後悔しなくて、すむように。
それは、きっと。
親に対するだけでなく、
わが子に対しても、そうなのでしょう。
いつかは、巣立つ日が来るのです。
その日が、早いか遅いかの違いがあるだけ。
でも、それは、きっと。
想定より早く、唐突に来るものなのかもしれません。
だから、わが子と過ごす、かけがえのない一日一日を、
「いつもの一日」で片づけないようにしないと、ですね。
新型コロナの巣ごもりの期間、
ずいぶん久しぶりに、
落ち着いて自分を見つめなおせたから、
こんなことを考えるようになったのかもしれないなあ・・・
皆さんも、この時を、有意義に過ごされていますでしょうか?
この期間さえも、終わりはあります。あとわずかです。
終われば、2度とない、特別な時です。
苦しみの中でも、今しかできないことが、きっとあります。
悔いを残さないように、精一杯生きて、
将来、懐かしく思い出せるような、
そんな期間にしていきましょうね(^^)/