「サッカー人生」という名のプレゼント(五輪閑話)
おはようございます! 月村です!
昨日は泣きました!泣けました!
なので、今朝は、昔話の続きではなく、
旬のネタで書かせて頂きます!(感動のまま書いたので長いです笑)
東京オリンピックの男子サッカー準決勝第2試合。
我らがU-24日本代表はU-24スペイン代表と対戦し、
延長120分間の激闘の末、0対1で敗戦しました。
史上初の決勝進出、金メダル獲得の夢は、終わりました。
負けたから、泣いたわけじゃない、です!
あまりにも、感動して、泣いたのです!
負けた悔しさも、虚しさもなく、
ただただ、胸がいっぱいになった、ひと時でした。
⁂ ⁂ ⁂ ⁂
スペインのU-24代表は反則並みに強いです。
フル代表の選手が6人も入っているなんて、何の冗談ですか。
世界最高峰の同国のプロリーグ「ラ・リーガ」で、
レギュラーを張っている選手がぞろぞろいて。
同リーグ最強の「FCバルセロナ」でブレイクした、
18歳の神童ペドリ選手まで招集されていて。
日本のフル代表でも余裕で負けると思います。
ところが・・・日本の若武者たちは果敢に戦いました。
始めこそ、相手チームをリスペクトし過ぎていた感じですが、
粘り強い守備から少しずつリズムが生まれ、
いつの間にかパスが回り始め、
少しずつ攻めていけるようになって行くのです。
ガチガチのスペインを相手にして・・・
気持ちで、負けてないんです。
日本が、日本サッカーがこんなにも成長したのかと、
胸がいっぱいになりました。
ハーフタイムになり、
後半戦を待っている間に、涙腺が崩壊してしまいました。
90分間で決着がつかず延長戦に突入。
U-24の森保一監督は、中心選手である久保建英選手や堂安律選手を
控えの選手に替えてしまいました。
昔の日本チームなら、そんな贅沢は許されませんでした(笑)
まだ余力があるのに、延長戦で替えたりはしなかったと思います。
代わりに入った選手も決定機を演出するなど活躍。
選手一人ひとりの力がついたのだと思いました。
延長戦の後半開始直後、
U-24日本代表が攻勢に出ました。
スペインの方が、何やら防戦一方に見えました。
目を疑いました。魂が震えました。
ただ引いて守って0点に抑えるだけでは飽き足らず、
反転攻勢に出て魅せてくれたのです。
それが、嬉しくて、嬉しくて。
でも、現実は厳しかった。
115分目、あと5分でPK戦という時間帯に、
我らがU-24日本代表はゴールを決められてしまいます。
シュートを決めたマルコ・アセンシオ選手は、
オーバーエージ枠で招集されたバリバリのフル代表。
レアル・マドリードのレギュラーです。
利き足の左足を一閃して放たれたシュートの軌道は、
サッカーの楽しさを知る者なら、誰もが魅せられるしかない、
実に美しい「ゴラッソ(スーパーゴール)」でした。
同じ負けるにしても、負け方があります。
何でもない凡ミスで失点して負けたり、
力任せにボコられて負けたり、
緊張して、怖がって、実力も出せずに負けたり・・・
昔の日本代表はいつも、そんな感じでした。
でも、昨夜のU-24は違うように感じました。
劣勢ではありましたが希望を捨てず、
集中を切らさずによく守り、互いにカバーしあい、
献身的に身を挺してゴールを守る。
でも機会をつかむと、果敢にパスを繋げ、
相手ゴールに迫る大胆さも魅せてくれる。
1点を取られた後も、最後まで諦めず、
あわやというシーンを演出して魅せました。
最後はスペイン選手の足が攣ってしまい、
仲間に助けてもらっているシーンも見ました。
本気だったんだなと、また嬉しくなりました。
⁂ ⁂ ⁂ ⁂
120分間、ずっと神様を呼び求め、
勝利を願って、祈りました。
日本に好プレイがあると、諸手を挙げて「ハレルヤ!」と叫び、
ピンチの場面では「主よ~~ッ!」と神の加護を求めて。
でも、途中から、
なんだか、不思議と、
感謝ばかりが、
口から出て来るようになりました。
日本を強くしてくださって、感謝します!
素晴らしい試合を、感謝します!
サッカーを創造してくださって、感謝します!
サッカーを選ばせてくださって、感謝します!
サッカーのある人生を、感謝します!
幸せなひと時を、感謝します!
「サッカー人生」という名のプレゼント(3)
おはようございます!月村です!
私がサッカーを始めた経緯シリーズ、第3弾です!
誓いを立てた当時の、暗黒日本の証です(笑)
⁂ ⁂ ⁂ ⁂
中学でも続けると誓い合ったサッカー。
その時、私は、「サッカーならいいか!」と
テンションを上げたわけではありませんでした。
45年前の日本サッカーって、なかなかヤバかったです。
Jリーグなんて、影も形もなく、
日本にプロのサッカーリーグができるなど、
夢のまた夢、妄想と思っていた時代です。
私が小学校を卒業した1970年代後半は
実業団チームによる日本サッカーリーグ(JSL)の時代。
メキシコオリンピックで得点王になった釜本邦茂は、
ピークを過ぎていて、往年の輝きはなく、
後に続く日本人のスターは皆無でした。
実業団関係の人しかJSLの試合なんて行かない。
もちろん、私も見に行ったことはありません。
私が大学に入学した1985年は、
日本がワールドカップに最も近づいたと言われた年です。
ホームアンドアウエー方式で行われる韓国代表との最終予選。
木村和司という左利き選手の、
国立競技場での「伝説のフリーキック」は圧巻でした。
こんなスーパーゴールを決めても、韓国代表に連敗。
あっさりと、夢は絶たれました。
「今年行けなきゃ、未来永劫、行けるわけないな」
お隣の国が、絶望的に高い壁の時代でした。
4年後のワールドカップ予選は1次予選敗退。
4年前より、明らかに後退していました。
中国代表に敗れてワールドカップへの道を閉ざされた姿を、
友人宅のテレビで、虚しい思いで見ていました。
私が選んだスポーツの日本代表は、あまりにも弱かった。
どう、ひいき目にみても、
無条件、惹かれるようなスポーツではありませんでした。
「マイナースポーツの帝王」(自分談)だったのです。
⁂ ⁂ ⁂ ⁂
その後、日本のサッカー界は、突如として勃興します。
1990年、ブラジルから三浦知良選手が日本に戻ってきて、
1992年、AFCアジアカップで日本代表が初優勝。
1993年、夢のまた夢と思っていたプロリーグ発足。
突然代表が強くなり、プロリーグが発足し、
スタジアムは満員になった。
「奇跡」としか表現できない豹変ぶりでした。
私が、信仰を持ち始めた時期とぴったり合うので、
私の中では、密かに、
神様からのプレゼントだと思ってます(笑)
つづく
「サッカー人生」という名のプレゼント(2)
おはようございます! 月村です!
私がサッカーをやるようになった経緯を証する第2弾です。
お付き合い頂ければ幸いです!
⁂ ⁂ ⁂ ⁂
(前回のおさらい)
小学校卒業間際のある日。
球技クラブの仲間4人が集まりました。
そのうちの一人が熱く語りかけ、右手を差し出しました。
「中学に行っても、サッカーを続けような!」
その子は、普段から、
熱いタイプじゃなかったはずなのです。
私は心の中で首を傾げていました。
「ぼくたち、そんなにサッカーしたっけ?」
手を重ねている彼らと、熱くサッカーをやった記憶がなくて、
一瞬、ポカンとしてしまいました。
ところが・・・
私以外の2人も、間髪入れずに、
躊躇うことなく手を出して、右手を重ねたのです。
もしかして、そう思ってたの僕だけ?!
僕って、めちゃくちゃ薄情?!
4年生から入れる球技クラブでは、
ソフトボールとか、別の競技もしていました。
6年生の時に、サッカークラブとして独立しましたが、
熱心に活動した記憶がありませんでした。
当時は、他の学校で、
ゴールが倒れて子供が亡くなる事件があったりして、
子どもだけでサッカーをさせてもらえませんでした。
練習もほとんどなく、体外試合は確か1試合だけ。
ただ蹴り合っただけで、0対1で負けました。
サッカーを教えるコーチなんていない時代でした。
将来を誓い合うような熱さは、なかったはずです。
私個人は、よく、ひとりでリフティングをして楽しんでました。
はじめはどんなにやっても3回しかできなかったのが、
10回はいけるようになったのが嬉しくて。
サッカー自体はそれなりに好きだったと思います。
とはいえ、誓い合うほどのことはしてなかったはずなのに、
3人の手が熱く重なっているから、
一瞬、ポカンとした私でしたが、
次の瞬間、
当然のように、
ずっと前から決めていたかのように、
彼らの手の上に、自分の手を置いてました!
主体性? 知りません。そんな言葉。子供でしたし。
きっと、聖霊が降ったんだと思います。
ハレルヤ!
(挿絵は最近撮った写真で意味はありません・・・笑)
つづく
必ず、よくしてくださる神様です(2)
こんにちは! 月村です!
サッカー人生の話の続きをと思ってましたが、
以前投稿した「必ず、よくしてくださる神様です」の続編が
書きたくなりました。ちょっとだけお付き合い下さいね。
(ウソです。長いです。ごめんなさい)
長女誕生のその日に、会社をクビになるという、
人生最大の「危機」を迎えた私。
それは同時に、運命を変える「機会」の時でもありました。
やはり、危機の「機」は機会の「機」でした。
私は大学卒業して以降、2年おきに転職してました。
「天職」を探して「転職」を繰り返す駄洒落人生・・・笑えませんね。
長男が生まれるので、そろそろと思いましたが、
結局、転職した先は、社長と社員一人の出版社でした。
ずっと働くつもりはありましたが、将来が不安でした。
そこも深い経緯があって辞め、前職に就いたのが3月はじめ。
長女が生まれたのが同月下旬。1か月も経っていませんでした。
子どもが2人になるので、流石に安定した職業に就かなければと、
覚悟を決めた矢先の出来事だったのです。
それでも、「もっとよい職場を紹介して下さる!」と、
御心(=神様の計画)を感じたことは、前回書きましたね。
だから、私は、やるだけでした。
できることを誠実にやることだけが、残っていました。
⁂ ⁂ ⁂ ⁂
マタイによる福音書第25章21節
「主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』」
⁂ ⁂ ⁂ ⁂
わずかなものに忠実であろうと、思ったのです。
それで、翌日から毎日ハローワークに行って仕事を探しました。
しかし、信仰ぬきに、客観的に見ると、絶望的です。
ベンチャーを転々とした職歴持ちの30代後半、男。
さしたるキャリアもなく、一般事務志望。
条件が下がって当たり前。転職できるだけで奇跡。
それなのに「もっとよい職場」って・・・。
案の定、ハローワークのパソコンで条件指定すると、
全然ヒットしないんです。
少し条件を緩めて、やっとヒットした求人票を窓口に持っていき、
取次ぎをお願いして面接日時を調整します。
窓口紹介は回数制限があるので、自分でも電話をかけました。
門前払いは当たり前。面接を受けても断られます。
たった3日で、条件に該当する企業が出なくなりました。
それでも、「必ず、よくしてくださる神様」を信じました。
危機は、機会だと、信じられました。
私、こんなに信仰よかったっけ?
聖霊が降っていたのかもしれません。きっとそうです。
とにかく、やれることは何でもやろうと思いました。
⁂ ⁂ ⁂ ⁂
マタイによる福音書第7章7節
「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。」
⁂ ⁂ ⁂ ⁂
捜すこと、門をたたくことが、私にやれること。
だから、続けて捜しました。
開き直って、職種も、給料も、年齢さえも、条件から外しました。
やったことないけど、やれと言われれば、営業にだって行く。
若くないけど、若者と同じようにやれと言われたら、がんばる。
そうやって、探すことだけに、忠誠を尽くして。
出会った会社で、今年、20年目を迎えました。
ハレルヤ!
ちなみに、転職が決まって提示された条件を見て、
神様の全知全能さを、心から、ほめ称えました。
給料も、待遇も、すべての条件が、
前職を上回っていたのです。
マジか~ホントにできるんだ~、と思ってしまいました。
正直に言います。信仰、悪かったです。
信じてたけど、信じてませんでした、はい。
わずかなものに忠実である者に、
もっとよくしてくださる神様に、
永遠に、栄光を帰します!
愛してます!
長いお話に、いつもお付き合い下さって、
心から、感謝します!
「サッカー人生」という名のプレゼント(1)
おはようございます! スポーツ大好き月村です。
7/28(水)夜9時半頃・・・私は感動でうち震えていました。
東京オリンピックの舞台で、
サッカーの日本代表が、なんと!!
フランス相手に、勝ったのです。
しかも・・・4対0で。
こんな時代が来るなんて・・・
掛け値なしに、夢にも思いませんでした。
⁂ ⁂ ⁂ ⁂
皆様は、どんなスポーツが好きですか?
そう聞かれた私は、たぶん、「野球が好き」と答えてしまいます。
横浜DeNAベイスターズのファン歴は43年ですしね!
ベイファン仲間の長男クンとのマニアックな話に、
他の家族がついていけないのを見ると、
やっぱり私は野球好きなのだな、と思います。
ところが、なぜか・・・
私の競技歴は、サッカー一筋、45年なのです。
どんなスポーツも、やるのも見るのも好きですが、
どれか一つやるなら、サッカー一択、なのです。
サッカーは、すごく楽しいです。
やる方が、断然、面白い。
見る方は・・・特定のひいきチームがあるわけでもなく、
ひいきの選手がいるわけでもないので、
コアなファンの人の話題にはついていけなかったりしますけど。
やる方は、とにかく、長年続けました。
技術的にはそんなに伸びなかったですが、
とにかくサッカーが好きだったみたいです。
どんなに練習がキツクても、
辞めようと思ったことは、一度もありませんでした。
戦績というほどのことではありませんが、
指導者に恵まれた高校時代、
最後のインターハイ予選は、神奈川県ベスト16。
最後の試合は、県大会優勝チームに0対1の惜敗。
失点は1学年後輩の子のオウンゴールでした。
主要なポジションは、ディフェンダーです。
チャージに負けない体幹、
敵ウイングに振り切られないスピード、
遠くに飛ばすバカ力(キック力)が長所。
足元の技術は皆無。
喘息持ちだったので持久力もない。
相手を抜くとしたらスピードで振り切るしかできない。
そんなわけで、ディフェンダー一択でした(笑)
⁂ ⁂ ⁂ ⁂
小学6年生の卒業間際のある日。
球技クラブでよく遊んでいた仲間4人が集まりました。
そのうちのひとりが、熱い口調で言いました。
「中学に行っても、サッカーを続けような!」
そう言って、右手を力強く差し出しました。
私以外の2人も、躊躇うことなく手を出しました。
私にとっては、その誓いの儀式こそが、
本当に小指の爪の先ほどの、
「機会」となったのです。
つづく
必ず、よくしてくださる神様です💗
おはようございます!月村です!
スポーツ好きの私には夢のような、
オリンピック漬けの毎日です(^^)/
神様、感謝です(^^)/
さて、突然ですが、皆様は、
どんな子供時代を過ごされましたか?
将来、どういう仕事をしようと思われましたか?
私は、すごく変わった子でした。
物心ついて最初になりたいと思った職業は、
「お相撲さん」でした!( 一一)
その後、いろいろありまして、
現在、とある食品メーカーに勤めています。
今年、勤続20周年を迎えました。
変わり者の私がサラリーマンになれるとは
思わなかったですし、
一つの会社で20年も続けて働けるとは
思いませんでした。
今の会社との出逢いは、本当に、
今でも忘れられない思い出です。
今日はちょっとだけ、お話ししますね。
今の会社には、30代後半に入社しました。
長女ちゃんが生まれて、その1週間後に
ご縁ができました。
実は、その長女ちゃんが生まれたその日、
私は、前職を会社理由でクビになりました。
昼頃、妻から「陣痛が始まったよ~」と電話で聞いて、
定時になったら病院に行こうと思っていた矢先に、
社長から呼び出しを受けました。
「営業が辞めて仕事がなくなった。悪いけど・・・」
はい、うすうす感じていましたよ。
でもね。よりによって、
子供が生まれた日に、ですよ?
その日は何とか食い下がって保留となりましたが、
翌日、正式に言い渡されました。
こういう時、人は、一家心中とか、考えるのかな。
三面記事の黒い見出しが頭に浮かび、
何だか、可笑しくなりました。
他人ごとのようでした。
そうなのです。
不思議なことに、
悲壮感が全然なかったのです。
聖書に出会い、その解き明かしを聞き、
礼拝の説教などで、さんざん聞かされたこと。
「必ず、よくしてくださる神様です」
神様は、人を愛していらっしゃる。
だから、どんなに患難苦難があっても、
最後は、必ず、よくして下さる。
その御言葉が、
なぜか、不思議と、信じられました。
ああ、これは、機会なんだ。
もっと、よい職場を、紹介して下さるんだ。
そのために、今の会社は、
追い出されなければ、ならなかったんだ。
そう、自然に、思えたのです。
だから、希望をもって、
次の職場を探すことができました。
そして、今の会社と縁ができました。
前職を離れ、わずか10日後のことでした。
そんなこんなで、今年、20年目を迎えたのです。
ハレルヤ!
神様は、「機会」をくださいます。
でも、「機会」は、
患難苦難と一緒に来ます。
なぜでしょう??
「今日」が壊れないと、
もっと良い「明日」を、
迎えられないからです。
過去~現在~未来は一本道。
よい未来に至るには、
安定した現在を壊さないと、
たどり着けないからです。
困ったことがあったり、
苦しいことがあったり、
悩んだり、もがいたり、
そういうことがあったら、
考えてみてください。
もしかして、
もっと良いものが、
もらえる機会なんじゃないか?って。
そう思えたら、
きっと、
元気になれます。
希望がわきます。
前を向くことができます。
「必ず、よくしてくださる神様です」
本当ですよ?
私が、自信をもって、保証します!
神様は、ステキな神様です!(^^)/
「あなたを信じる」~百日紅のように
おはようございます🌅、月村です!🌙🤗
百日紅の伝説から超脱線して、
妄想を楽しむシリーズ・・・その最終回です😊
⁂ ⁂ ⁂ ⁂
王子様との約束は、娘にとって、
生きる希望であり、同時に葛藤となりました。
人には予知能力がないから、ツライのです。
約束が果たされるかどうかは、
その時になってみないと分からないから。
信じようと決心した心が、どんなに固くても、
人は疑いの黒雲から逃れることはできません。
それは、心を、身体を、蝕みます。
たかが百日、されど百日です。
人を腐らせ、弱らせるには、十分な時間です。
娘は、愛する人との約束を、信じ抜きました。
たった百日で、死の病に罹るくらい、
一途すぎたのです。
(妄想完了🙂)
「あなたを信じる」
それは、明日を知らぬ人間にとって、
弱くて、脆くて、
直ぐに揺れてしまう人間にとって、
簡単なことではありません。
だから、私は思います。
もし娘が、自分の弱さを受け入れて、
神様に出会っていたら、
王子様に再会できただろうに、と。
人は、弱いものです。
弱く、創られているのです。
全能なる神様と一つになって、
強くなるため、です。
己の弱さを認め、告白すると、
神様を受け入れる「心」が準備できます。
そうしてこそ、人の弱さを、
知っておられる神様がともになさり、
私たちは強くなることができるのです。
現実の困難に、打ち勝てるのです。
人は、神様なしには
生きられない存在なのです。
西暦の始まりの日、神様は約束通り、
人とご自身との架け橋を、贈られました。
その方が、イエス・キリストです。
旧約聖書の「旧約」とは、神と人との「古い約束」。
神様は、約束を守る神様でした。
新約聖書の「新約」は、「新しい約束」。
もう一度、私は来ると、イエス様が仰いました。
今も神様は、約束を守る神様です。
王子様は、帰って来られるのです。
盛夏の中、百日紅の花は、今日も咲き続けます。
「もう、あなたを泣かせることはしませんよ。
私は元気です。今度こそ、信じて待ちます!」
そう言っているみたいです。
私も、信じます。
その機会は、また来ます。
約束は、きっと、守られます。
あの、咲き誇る百日紅の花たちのように、
その方を、笑顔で迎えられる、
私でありたい、と思います!
⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂
百日紅シリーズに長い間、お付き合い頂き、
ありがとうございました🤗
長かった~😅💦
百日紅、尊すぎる~💗💗