何気ない自然の美しさと生活のひとこまを、ま~ったりと愛でるブログ

東京都足立区キリスト教の教会Sail of the Lord Church (セイルオブザロードチャーチ) に通うクリスチャンホームのお父さんです。神様がお創りになった美しく素敵な自然と生活のひとコマを、まったり愛でるブログです(^^)/

「サッカー人生」という名のプレゼント(3)

おはようございます!月村です!

私がサッカーを始めた経緯シリーズ、第3弾です!

誓いを立てた当時の、暗黒日本の証です(笑)

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中学でも続けると誓い合ったサッカー。

その時、私は、「サッカーならいいか!」と

テンションを上げたわけではありませんでした。

 

 

45年前の日本サッカーって、なかなかヤバかったです。

Jリーグなんて、影も形もなく、

日本にプロのサッカーリーグができるなど、

夢のまた夢、妄想と思っていた時代です。

 

私が小学校を卒業した1970年代後半は

実業団チームによる日本サッカーリーグ(JSL)の時代。

メキシコオリンピックで得点王になった釜本邦茂は、

ピークを過ぎていて、往年の輝きはなく、

後に続く日本人のスターは皆無でした。

実業団関係の人しかJSLの試合なんて行かない。

もちろん、私も見に行ったことはありません。

 

私が大学に入学した1985年は、

日本がワールドカップに最も近づいたと言われた年です。

ホームアンドアウエー方式で行われる韓国代表との最終予選。

木村和司という左利き選手の、

国立競技場での「伝説のフリーキック」は圧巻でした。 

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こんなスーパーゴールを決めても、韓国代表に連敗。

あっさりと、夢は絶たれました。

「今年行けなきゃ、未来永劫、行けるわけないな」

お隣の国が、絶望的に高い壁の時代でした。

 

4年後のワールドカップ予選は1次予選敗退。

4年前より、明らかに後退していました。

中国代表に敗れてワールドカップへの道を閉ざされた姿を、

友人宅のテレビで、虚しい思いで見ていました。

私が選んだスポーツの日本代表は、あまりにも弱かった。

 

どう、ひいき目にみても、

無条件、惹かれるようなスポーツではありませんでした。

「マイナースポーツの帝王」(自分談)だったのです。

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その後、日本のサッカー界は、突如として勃興します。

1990年、ブラジルから三浦知良選手が日本に戻ってきて、

1992年、AFCアジアカップで日本代表が初優勝。

1993年、夢のまた夢と思っていたプロリーグ発足。

突然代表が強くなり、プロリーグが発足し、

スタジアムは満員になった。

「奇跡」としか表現できない豹変ぶりでした。

 

私が、信仰を持ち始めた時期とぴったり合うので、

私の中では、密かに、

神様からのプレゼントだと思ってます(笑)

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 つづく