私がいま、生きているということは
こんばんは! 月村です。
今月21日は父の日ですね✨
私の父は、今秋に卒寿を迎えます。
こんなにも、長生きをさせて頂いて、
神様には、本当に感謝している次第です。
私が家を出た時、
父は50代前半でした。
いまの私と同じくらいの年齢です。
家を出るまでの私は、
父の半生に、ほとんど興味を持っていませんでした。
そのまま、一緒に暮らしていれば、
いつかは、興味をもつようになり、
生活の端々で、問わず語りに、
耳を傾けることもあったと思うのですが、
私が、ようやく、父の人生に、
興味を持つようになったのは、
本当に最近のことです。
家族と共に帰省する、わずかな時間、
父の部屋で過ごす、
1時間にも満たない時間では、
とても、その人生のすべてを、
共有することはできません。
つくづく、
もったいないことをしたものだなと、
本当に、取り返しのつかない、
寂しいことをしたのだなと、
しみじみ思っている今日このごろです。
少し前のことでした。
日帰り帰省の、わずかな時間をとらえて、
父の戦時中の話を聞く機会がありました。
終戦間際、当時学生だった父は、
故郷の軍事工場に駆り出され、
学業もそっちのけで作業に当たっていたそうです。
戦争末期で、本土空襲が当たり前の時代です。
軍事工場は格好の攻撃対象だったといいます。
その日、父は、
トラックで物資を運搬する手伝いをしていました。
そこに、敵の戦闘機が襲いかかってきたのです。
移動する車両もまた、格好の標的でした。
敵の接近に気づいた父は、
トラックを捨て、畦道を逃げたそうです。
その背後から、
戦闘機の機銃掃射が襲いかかりました。
父は、辛うじて田んぼに飛び込み、
恐ろしい弾幕から逃れたそうです。
父の口調が、
あまりにも淡々としていて、
聞いてすぐは、
あまり臨場感を味わうことができませんでした。
しかし、あとになって、
話してくれた内容を思い返してみると、
本当に、掛け値なしに、
絶体絶命の危機だったのだなと、
しみじみと思い知らされました。
こういうシチュエーションで、
命を失った人が、
いったい、どれだけ多かったことでしょう。
父の人生は、誠に、その時に、
終わってしまったかもしれないのです。
もしそうなっていたら、
父と母が出会うこともなく、
私が生まれることもなく、
私が、愛する妻と出会うこともなく、
こんなにも愛しい、
子供たちが生まれることもなかったのです。
神様が、その日、
父の命を守って下さいました。
その、愛ゆえに、
その、しるしゆえに、
私は、いま、
ここにいるのです。
愛するこの家庭が、あるのです。
だから、私は、
今日も感謝します。
命を守ってくださる神様に。
命を守って下さった神様に。
わかっていることも、
知らないでいることも、
数え上げたらきりがないくらい、
守ってくださっている、
愛の神様に、感謝するのです。
《参考》