何気ない自然の美しさと生活のひとこまを、ま~ったりと愛でるブログ

東京都足立区キリスト教の教会Sail of the Lord Church (セイルオブザロードチャーチ) に通うクリスチャンホームのお父さんです。神様がお創りになった美しく素敵な自然と生活のひとコマを、まったり愛でるブログです(^^)/

だから、祈ります

むかし、あるところに、

ひとりの女の子がいました。

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女の子は、

お父さんとお母さんの愛を受け、

まるで太陽のように、

明るく、朗らかに、

すくすくと成長していきました。

歌や絵が大好きで、

習字やバレエを習い、

中学生になってからは、

バドミントン部に入りました。

 

ある秋の日。

女の子は、

お父さんのお誕生日のお祝いに、

もっとおしゃれにきをつかってね、と、

べっ甲のくしをプレゼントしました。

お父さんはとても喜びました。

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翌日。

いつものとおり、

お父さんと、お母さんと、

双子の弟たちと、

にぎやかな朝ごはんを食べ、

女の子は、

中学校に向かいました。

バドミントンの練習をして、

中学校を出た女の子は、

それっきり、

家に帰ってこなかったのです。

 

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こんばんは。月村です。

先日、6月5日、

北朝鮮拉致被害者の、

横田めぐみさんのお父さん、

横田滋さんが老衰でなくなりました。

87歳でした。

 

この訃報を聞いて、

涙が止まりませんでした。

もう一度、

めぐみさんに、

会わせてあげたいと、

心から願っていたからです。

何とか、

何とか、生きているうちに、

愛する娘を、

抱きしめることができるように、

心から願っていたから・・・

涙が、止まりませんでした。

ただ、ひたすら、

その霊魂の平安を、

神様にお祈りしないでは、

いられませんでした。

 

私は、

めぐみさんと同い年で、

めぐみさんが当時住んでいた、

新潟市で生まれました。

私は1972年に東京に引っ越したので、

1976年に新潟に引っ越しためぐみさんと、

すれ違うようなことはなかったですが、

それでも、

同い年で、同じ土地で、

過ごされていためぐみさんのことは、

とても近く感じていました。

 

お父さんの滋さんと、

お母さんの早紀江さんは、

私と同じ、

クリスチャンでいらっしゃり、

現在のお住まいも、

私の父母と同じ川崎で、

年齢もほぼ私の父母と近く、

なんだか、不思議と、

共通するところが多いので、

その分、

一方的ではありますが

親近感がわくのです。

 

だから、

めぐみさんのために、

何度もお祈りをしてきました。

ご両親に会えるようにと、

無事に、帰ってこられるようにと。

 

でも、

でも、

もっと、真剣に、

もっと、もっと、たくさん、

祈ってさし上げればよかった・・・

何もない私にだって、

それくらいは、できるのに。

民族の、愛する同胞が、

40年以上も、

悲しみの中でもがいているのに・・・

あまりにも、

無関心でした。

無情でした。

心から、悔い改めるしか、

ありませんでした。

 

こんなにも、ちっぽけな、

足りない私でも、

こんなに胸がつぶれるほど、

悲しいのに、

あの天の、

神様は、

どれほど悲しまれていることでしょう。

 

この世界には、

たしかに、悲しみがあふれています。

ちっぽけな、

足りない私には、

どうしようもないくらい、

辛いことが・・・

 

でも、

私たちには、

希望があります。

 

私たちを愛して、

私たちのために、

十字架の苦難を受け、

罪をゆるし、

こんな小さな私でも、

神の御前に進み出られるよう、

道となってくださった方が、

いらっしゃいます。

人々の悲しみ、苦しみ、

怒り、嘆き、涙・・・

その全てを、受け止め、

隣人(となりびと)として、

寄り添い、

共に生きて下さり、

希望となってくださる方が、

いらっしゃるのです。

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だから、私は祈ります。

悲しみが退き、

不幸の連鎖が断ち切られ、

闇に閉じ込められた人々が解放され、

笑顔になるその日が来ますようにと。

 

だから、今日も、祈ります。

めぐみさんが、戻ってきて、

お母さんと再会する日。

その日は、きっと来ると信じます。

 

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