失意の雨天ノーゲーム
こんにちは!月村です!
スポーツ大好きな私の好物の一つが高校野球です。
甲子園が始まって、テンションが上がってます😃
8月12日の第一試合は、4回終了時点で、
好投手を擁するノースアジア大明桜高校が、
5対0でリードしていましたが、
雨が強く降ってきたためノーゲームとなりました。
7回まで試合が進んでいれば試合成立で、
進んでいないと、翌日0対0からの再試合となります。
13日に続き今日も荒天のようで、
3日連続順延となりました。
これは、1975年以来46年ぶりのことだそうです。
雨天ノーゲームと言えば、
忘れられない甲子園のエピソードがあります。
その試合は台風接近の中、強行されました。
甲子園に春夏3回出場して1勝もしたことのない高校が
4回裏途中までで8対0でリードしていました。
何が起こるか分からない。
勝負は下駄を履くまで分からない。
魔物が住んでいる甲子園。
野球は9回ツーアウトから。
いろいろ言いますが、
そうは言っても、この点差です。
8割くらい勝ちを意識したとしても、
責められない試合展開でした。
ところが、ここで激しい雨が落ちて来ます。
スコアボードも霞むような豪雨でグランドは水浸し。
結局ノーゲームとなりました。
翌日の試合。
一転して前日敗色濃厚だったチームが優勢。
もともと好投手と評判の高かった相手投手は、
好不調の波が激しいタイプだったらしく、
前日とは別人の快投を魅せ、
前日勝利目前だったチームの投手は、
前日のクロスプレーで負傷しており絶不調。
終盤、立て続けにチャンスを作るも、
焦りからかあと一本が出せず、
結局、2対5で甲子園初勝利を逃すことになりました。
この試合は大きくクローズアップされました。
ルールはルールとはいえ、何とかならなかったのか。
サスペンデットゲームにすればよかったのにと、
批判的な記事やコメントが多かったのを覚えています。
ルールに従って勝利を収めた相手チームにも、
「勝利を返上しろ」みたいな非難メールがあったようで、
かなり苦しい思いをしたようでした。
その時、私が一番心に打たれたことは、
勝利を逃したチームの選手たちが、
当時いろいろと記事を漁った限りにおいて、
一言も、恨み言を言わなかったことでした。
みな一様に、
「ルールですから」
「実力がなかっただけです」
と負けを認め、
「相手チームには、頑張ってほしいです!」
と相手チームを激励していました。
その言葉を受けて、相手チームも、
「彼らの分まで、勝ちます!」と、
負けた相手をリスペクトし、
彼らの思いを背負うと約束していました。
多少の後ろめたさもあったでしょうが、
彼らの言葉に救われたのか、
意気に感じたのか、
次の試合では、
素晴らしいパフォーマンスを発揮し、
勝利の凱歌を響かせていました。
勝ったチームを思いやる気持ち。
誰かのせいにはしないという強い気持ち。
言動がすがすがしく、潔く、
すごくカッコよかったですし、
両チームが美しい平和をなしていて、
神様が喜ばれている気がしたものです。
どんなに、だれかを恨みたくなるような状況でも、
その劣情に流されることなく、
グッと耐えて、二ッと笑って、
これは、御心だ。
これは、もっとよくなるための、
祝福だ、試練だと、
はっきりと信じられるならば、
その人は、必ず前に進むことができる。
必ず、もっとよい明日を見ることができるのです。
私は、そう、信じています。
つづく
ようし、ぼくはがんばるぞ
こんばんは。月村です。
この日のことは、今でも忘れられません。
私が大学1年生の夏の出来事です。
その日は、サッカー部の合宿の初日でした。
大学に集まり、先輩たちの車に乗せてもらって、
戸狩温泉スキー場に向かいます。
スキー好きの先輩の伝手で、
夏合宿が企画されたとかで、
そんな長野県の山間に向かっていました。
高速を飛ばして、山道をくねくねと走り、
それなりに時間もかかり、
暗くなってきた頃。
ラジオのニュースだったか、
サービスエリアのテレビだったかで、
「飛行機が行方不明」みたいなニュースが
耳に入って来たのです。
少し気になっていて、
ようやく旅館に着いてすぐに、
テレビのニュースを見て、はじめて、
日航機が不自然なコースを飛行して、
群馬県あたりで消息を絶っていることを知りました。
それが、36年前の今日のことです。
今の時間21時は、ちょうど、
「山あいに火の手が上がっているのが見える」とか、
まだまだ情報があいまいで、
飛行機がどうなったか分からずやきもきしながら、
テレビ番組に釘付けになっている頃です。
まさか、それが、
単独の航空機事故としては世界最多、
死者520名を出した墜落事故になっているなんて、
想像もしませんでした。
お盆休みで満員の乗客を乗せた飛行機は、
垂直尾翼の破損という想定外の、致命的な故障に見舞われ、
操縦不能のまま、32分間飛行を続け、
死者520名ですが、乗客乗員は合せて524名。
つまり、生存者が4名いたのです。
凄惨な事故現場の写真を見るに、
生存者がいたことは、
奇跡としか言いようがありませんでした。
吉岡忍著「墜落の夏」(新潮社)に掲載された、
生存者の落合由美さんの証言の中に、
私が、どうしても忘れられない、
エピソードがあります。
墜落して重傷を負った落合さんの耳に、
ある男の子の声が聞こえてきたというのです。
⁂ ⁂ ⁂ ⁂
突然、男の子の声がしました。
「ようし、ぼくはがんばるぞ」と、
男の子は言いました。
学校へあがったかどうかの男の子の声で、
それははっきり聞こえました。
⁂ ⁂ ⁂ ⁂
生存者4名は、すべて女性です。
この男の子は、無念なことに、
520名の一人になったのでしょう。
だからこそ、この子の言葉が胸を打ちます。
瀕死の重傷を負っていたはずなのに。
墜落のショックがどれほどだったか、
生々しい落合さんの証言を見るに、
とてもそんな言葉を出せるような、
そんな生易しい状況ではなかったはずなのに。
なんて前向きな言葉を、
この少年は口にしたのだろうと、
初めて読んだ時、涙が止まりませんでした。
墜落直後は、荒い息遣いがたくさん聞こえたと
落合さんは証言しています。
この子以外にも、生存者がいたのでしょう。
最悪の航空機事故でありながら、
これほどの命が助かる可能性を残したのです。
機長や副操縦士たちのがんばりが、
どれほどすごかったのか、
結果が物語っていると思います。
飛行中に操縦不能に陥るという、
考えうる限りで最悪の事態に直面してなお、
最後まであきらめなかったからこそ、
命をかけて、操縦技術の粋を尽くして、
生きようともがいたからこそ、
4名の尊い命が救われたのです。
その機長さんの娘さんは、
お父さんの遺志を継ぐように、
同じ航空会社に就職してCAになったそうです。
お父さんが機長だったということで、
言われない誹謗中傷もあったようですが、
それでも、お父さんと同じ会社に入り、
空の仕事に就いたそうです。
機長さんが命を懸けた、その想いが、
娘さんに伝わり、
受け継がれたのだと思いました。
胸が打たれました。
36年目の夏が、
今年も静かに過ぎていきます。
何事もないこと。
それは、本当に幸せなことです。
いつも守って下さる神様に、
今日も感謝の祈りを捧げます。
東京オリンピック、ありがとう!!😃
こんにちは!月村です!
一昨日、東京オリンピックが閉幕しましたね。
スポーツは何でも大好きな私にとっては、
夢のような19日間でした。
オリンピック開催について、
反対していた人もいました。
無事に終わったと言っていいのかも、
まだわかりません。
でも、何とか、閉会式までできました。
大会は、まっとうされました。
4年間頑張って来たアスリートたちを思うと、
本当によかったと思いました。
たとえ採算は合わないとしても、
最大限、感染に気を付けて、
無観客での開催を決断してくれて、
本当によかったと思いました。
純粋に、真心を込めて、
準備してきたスタッフの皆さんがいて、
本当に献身的に、
大会運営のために頑張った、
ボランティアの皆さんがいたから、
開催できたと思います。
スタッフを称賛する
海外のメディアの発信も見ました。
日本人の一人として、誇らしく思いました。
炎天下の中、頑張ってくれた、
すべての関係者の皆さんに、
感謝の一言を送りたいです。
それから、誰よりも、
感謝を送りたい方がいらっしゃいます。
日本の民に、
東京オリンピックの開催をお許し下さり、
大会期間中も、
ただひたすら守って下さった、
愛する神様です。
もし選手やスタッフたちの間に、
深刻なパンデミックが発生していたら、
とても続けられなかったでしょう。
大きな問題なく、
閉会式を迎えられたのは、
ひとえに、神様の加護のおかげです。
スポーツは、
人が、神様に栄光を帰すために、
神様が、人に与えて下さった、
最高の芸術の一つです。
平和の祭典。
スポーツ芸術の祭典。
選手たちも、
スタッフたちも、
運営の方々も、
神様を知らないとしても、
私たちが捧げます。
強く磨き抜かれた肉体。
研鑽し、卓越した妙技。
勝利と敗北による感情の爆発。
試合が終わり、互いに称え合う、
笑顔と、友愛。
このすべては、あなたのものです。
東京オリンピックを祝福して下さり、
本当に、ありがとうございました!
素晴らしいスポーツ芸術を、感謝します!
美しい平和の祭典を、感謝します!
神様、心から、感謝します!
どうか、栄光をお受け下さいますように!
「サッカー人生」という名のプレゼント(五輪閑話3)
おはようございます! 月村です!
1回で書くつもりが長くなったので2回になりました(笑)
⁂ ⁂ ⁂ ⁂
メキシコ相手に1対3で敗れ、
東京オリンピックのサッカーU-24日本代表は、
4位で終わり、メダルに届きませんでした。
完敗でしたが、押し込む時間もあり、
枠を掠めた良いシュートが何本もあり、
彼我の差はあれど、未来は明るい。
そう思わせてくれた最後の戦いでした。
そして、私は思いました。
また、新たなスタートラインに立てたのだと。
この試合だけは、という試合に負ける。
勝てそうな試合を、優位な試合を、ひっくり返される。
優勝候補のはずが、苦杯を喫する。
ワールドカップでは、幾度となくありました。
スーパースターたちが号泣し、
呆然としてピッチに佇む姿を見て来ました。
その悔しさと、数えきれない涙の積み重ねが、
その国の文化となり、歴史となり、
強豪国を、強豪国にしたのです。
神様は、さらなる祝福をくださる前に、
必ず、大きな試練を与えられます。
あり得ない悔しさに、理不尽な運命に、
抗い、もがき、立ち向かって、
人は強くなるように、創られているのです。
この悔しさ、涙が、日本サッカー界に火を点け、
アジアの強国、ワールドカップ常連国に押し上げました。
21年、東京オリンピック3位決定戦。
試合終了と同時に、久保建英選手は、
ピッチに崩れ落ちて、号泣しました。
こんなに泣いている選手を見たことがないくらい、
辺りを憚らず泣いていました。
彼の姿は、ともに戦った仲間の胸を打ち、
応援していた人たちの胸を打ちました。
メキシコの選手たちまで、慰めていたほどでした。
日本はまだ、世界から見れば、駆け出しのひよっこです。
神様の下さった試練を、祝福に繋げられるか、
ただの挫折で終わってしまうかは、
これからの、頑張りにかかっているのです。
今は勝てなくても、いつかは勝てるようになる。
そういう未来を、彼の涙が、
照らしてくれているように思いました。
幸せな15日間でした。
頑張った選手たち、お疲れさまでした。
サッカーをくださった神様、感謝します!
「サッカー人生」という名のプレゼント(五輪閑話2)
おはようございます! 月村です!
一昨日の夜、2回目のコロナワクチンを接種して来ました!
今度こそ発熱する!と覚悟しつつ、
神様に縋り付いて、
副反応の軽減をお願いしてました。
結果的に、
倦怠感はかなりありましたが、
発熱はありませんでした。
痛みはそこそこありましたが、
腕も上がるし、生活に支障なし。
ああ・・・やっぱり、祈りを叶えて下さる神様です!
ハレルヤ!
⁂ ⁂ ⁂ ⁂
倦怠感のため寝たり起きたりを繰り返し、
目が覚めたら18:20でした。
あ、試合始まってる!
慌てて日本対メキシコの3位決定戦を見始めました。
0対1で負けてました。
神様を呼び求める間もなく、
2点目を取られてしまいました。
予選のメキシコ戦とは真逆の展開です。
3位決定戦の相手がメキシコだと厳しいと感じてました。
ブラジルなら、「3位も4位も変わらないな~」と
手を抜いてくれそうですが、
メキシコは予選リーグで日本に負けていてプライドもあるし、
スペイン同様、フル代表兼任の選手が複数いて意識も高い。
対して日本は、金メダルへの挑戦が潰えたばかり。
強敵スペイン相手にあわやというところまで行った分、
気持ちの切り替えが難しいだろうなと思っていました。
案の定の展開になってしまいました。
⁂ ⁂ ⁂ ⁂
サッカーは歴史が古いスポーツです。
全世界で行われているスポーツの王様です。
でも、強国というのは、限られていました。
古くはブラジル・アルゼンチン・ウルグアイの南米3強と、
ドイツ・イタリア・イングランドの欧州3強で、
優勝国が占められていました。
1998年にフランスが初優勝。
2010年にスペインが初優勝。
この辺りの強豪国も、割と最近強くなった国々です。
メキシコは、まだワールドカップで優勝したことがありません。
どちらかというと中堅国の部類です。
そんな中堅国が相手でも、彼我の差は歴然。
老獪に試合を進められて、完敗しました。
でも、私は思ったのです。
やっと、スタートラインに立てたのだと。
長くなったので、つづきます(^_-)-☆
「サッカー人生」という名のプレゼント(最終回)
おはようございます! 月村です!
私のサッカー人生の証の最終回です!
大学を卒業してから、今に至るまでのお話です😃
⁂ ⁂ ⁂ ⁂
大学を卒業してからは、
バリバリの現役ではなく、サッカーを楽しんで来ました。
今も教会の学生たちに入れてもらって、
ミニゲームやフットサルを楽しませてもらってます。
長男クンは小学生の頃まで、
次男クンは中学生になってからも、
一緒のチームでゲームをすることができました。
これも、神様のごほうびだと思っています。
小さな誓いを守って、
サッカーを続けて来た、ごほうびでした。
50歳過ぎても現役で続けてきた、ごほうびでした。
結局2人とも、学校ではサッカー部には入りませんでしたけど(笑)
⁂ ⁂ ⁂ ⁂
年に一度のサッカー大会がありました。
平和を祈念するサッカー大会。
サッカーを通して、神様に栄光を帰する大会。
教会の若者たちが企画したこの大会が、
私は好きでした。
今は、コロナで自粛してますが。
この大会を通して、私は、
現役時代よりサッカーが上手くなりました。
サッカーは芸術です。
神様に栄光を帰する芸術です。
ピッチの上では敵同士ですが、
敵がいてこそ、ゲームが成り立ちます。
妙技を魅せ合うことができます。
敵同士ですが、仲間。
22人が一緒に、神様に栄光を帰するのです。
それが、サッカーの創造目的。
聖書を通して学んだ、神様の御心です。
心から、そう思えるようになりました。
以前は、つい勝ち負けにこだわって、
自分の妙技を魅せることにこだわって、
回りが見えなくなったりしてました。
でも、今は、
相手のプレイを称賛したり、
ゴールを守ることよりも、
ギリギリのタックルを自重して、
相手の身体を守ることを、
一番に考えられるようになりました。
ね? サッカー、上手くなっているでしょ?
技術じゃなくて、
心の在り方が、とても上達したと思ってます。
⁂ ⁂ ⁂ ⁂
全くもって、その気もないまま立てた誓いが、
こんなに豊かな「サッカー人生」に繋がっていたなんて。
本当に、人生って、分からないものです。
その誓いこそが、
神様からの、プレゼントでした。
走って、蹴って、汗を流して、
サッカーという「天の芸術」を通して、
生きている喜びを味わい、
健康で強い身体も作られ、
勝つ喜び、負ける悔しさを通して人生を悟り、
神様に栄光を帰して生きるようにと、
神様が下さった、プレゼントだったのです。
サッカーは、最高です!
人生は、最高です!
神様は、最高です!
今日も、創造主を、褒め称えます!
⁂ おまけのお話 ⁂
ある時、誓いを立てた仲間の一人に、ばったり会いました。
一番小柄だった彼は、ボクシング部に入ってました(笑)
それとなく他の2人について聞いてみたら、
みんな、サッカーを続けていませんでした。
熱く誓いを立てた仲間たちの心は冷め、
一番冷めていたはずの私だけが、
仲間たちと離れた地にいた私だけが、
その誓いを守っていたんですね。
なぜか、腹も立ちませんでした。
やっぱり、聖霊が降っていたんですね!
おしまい
「サッカー人生」という名のプレゼント(4)
おはようございます! 月村です!
私がサッカーを始めるようになった経緯、第4弾です!
小学校の仲間4人と誓いを立てた、その後日談です😃
⁂ ⁂ ⁂ ⁂
中学でもサッカーを続ける誓いを立てた私。
親が家を購入して、小学校を卒業すると同時に、
遠くに引っ越すことになりました。
入学した中学校には、当然のことながら
知り合いは一人もいませんでした。
誓いを立てた仲間3人の顔もありません。
誓いを守らなくても、文句を言われることはありません。
それでも、私は、
迷わずサッカー部に入りました。
誓いを立てたからという義務感もなく、
自ら選んで、入部したのです。
うーん、なぜだろう。今でも謎です。
やっぱり、聖霊が降っていたのでしょう!
私が入った中学校は、地区の強豪でした。
でも、その年の新1年生は3人だけ。
国体に出たことのある指導者は、
私が入部して直ぐに他の学校に移ってしまい、
サッカー経験のない美術の先生が顧問になり
地区でも勝てない弱いチームになりました。
0対15という自分史上最悪の惨敗も中学時代。
それでも腐ることなく、3年間、やり抜きました。
辞めるなんて、発想もありませんでした。
これは、間違いなく聖霊が降っていましたね!
高校に入学し、迷わずサッカー部に入りました。
神奈川県ではそこそこ名の知れた顧問に恵まれ、
初めてまともに、ちゃんとサッカーを教えてもらいました。
最終成績は県ベスト16。勝つ喜びも味わうことができました。
川崎市の選抜チームにも誘われました。
でも、なぜか断りました。
そこまで好きではなかった、ということでしょうか。
自分で自分が、よくわかりません(笑)
大学に入学し、迷わず体育会サッカー部に入りました。
サークルもあったのに・・・さすがに自分でもビックリでした。
顧問もコーチもいない、学生主体の練習は週3回。
関東サッカー連盟の下の、東京都大学サッカー連盟の
最下位リーグに所属する最弱チームでした。
天皇杯の予選トーナメントで慶応大学と試合して、
後にU-23日本代表監督として北京オリンピックで指揮を執る
反町康治選手と同じピッチで戦ったこともありました。
結果は0対8の完敗でしたけど(笑)
反町選手のことは後で知ったんですけど(爆)
有名人と戦った自慢ネタもまた、神様のプレゼントかな。
4年間+アルファ、卒業するまでサッカー部でやり続け、
2回昇格を果たしました。
2回降格しましたけど(笑)
勝っても負けても、楽しかったです。
あの、小さな誓いから、
まさか、大学卒業までバリバリやるなんて、
思いもよりませんでした。
後悔もしませんでしたし、
一度も、やめたくなることはありませんでした。
間違いなく、この誓いは、
神様からの、プレゼントでした!
つづく